田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

ビジネスメールから無駄な宛名や挨拶を消し去ってみる冒険

どんなことをクライアントに言われても耐え抜ける選手権で審査員特別新人賞に輝くわたしではあるが、「今後はメールじゃなくてFacebookメッセンジャーでやりとりするようにしません?」と言われたときには、いとも簡単に心が折れた。


返事に困っていると、先方の女性担当者はプライドをひどく傷つけられたちんすこうといった剣幕で「百一さんって意外と考え方、古くさいんですね。いまどきメールだけでやりとりするなんて効率的じゃないですよ」とまくしたてたのち、黒糖の香りを振りまきながら颯爽と去って行った。


そんなことは知っている。


現に、うちの会社ではチャットツールのやりとりだけで済ませることが増えている。思い返してみると、社内の情報共有でメールを使用することは稀になってきているかもしれない。社外とのやりとりも、自分と同じ業界の人間が相手ならば、チャットツールでのやりとりが多くなってきている。


メール特有の「〇〇株式会社 〇〇様」といった宛名や「いつも大変お世話になっております」といった挨拶など、「御社が第一志望です」と就活のときに言わされた後遺症のように形骸化した言葉をいつまでも発しつづける必要もなくなり、確かにやりとりはスムーズになる。交わされる言葉もよりフランクな口語体になるので、距離感も近づきやすい。クライアントに「あざす!」とだけ返せる日がくるとは思わなかった。


別に、すべてのやりとりをメッセンジャーにすると会社が言い出すなら、それでもいい。ただ、二つだけ条件がある。「自分の会社と関わるすべての人間がメールを放棄すること」「自分の会社と関わるすべての人間が、どれか一つだけのメッセンジャーツールを利用すること」だ。


残念ながら現実では、自分と異なるお堅い業界の方ともやりとりをしなければならない。もちろんメールで。 こうなってくると、メールもメッセンジャーもチェックするハメになる。


マルチタスク処理能力が欠如しているわたしにとっては、メッセンジャーで業務が効率化するという謳い文句を鵜呑みにしてあげたとしても、そのメリットを打ち消すくらいに新たな煩雑さがもたらされている。


しかも、メッセンジャーツールは一つだけではない。LINE、Facebook、チャットワーク、Skype……相手によってさまざまだ。聖徳太子もさすがにうんざりして、手に持っている巨大しゃもじを地面にたたきつけるに違いない。


そんなことを考えていると、Facebook仮面夫婦みたいなマークのところに「1」が赤く点灯し、友達リクエストが届く。


見知らぬ名前だったのでスパムかと思ったが、よく考えたら先ほどの黒糖ちんすこうだった。ビジネスの雰囲気とは異なり、胸元をきわどく露出させ、逆ピースをしているプロフィール画像がわたしの顔をかすめていく。


先ほど、二つだけといったが、条件をもう一つだけ加えることにする。 仕事上で見たくもないプロフィール画像は使用しないこと。


とりあえずリクエストを承認し、そのまま「制限グループ」へ突っ込む。


この業界で働きはじめてから最も大きく変わったのは、Facebookの友達の人数かもしれない。自分の成長をはるかに上回るスピードで増えていった。その伸びを自身の能力の向上と錯覚して痛い目にあったこともある。


毎日のようにのっぺらぼうの仮面夫婦が赤く点灯し、「制限グループ」へ突っ込みつづける日々。いつのまにか、その軽作業は胡散臭いポップアップウインドウを消すのと同じく、反射的にできるようにさえなる。友達リクエストの「友達」という言葉に違和感を覚える暇すらなく、「制限グループ」以外の本当の友達が全体に占める割合はどんどん下降していく。「百一って友達多いよね。リア充だよな」と旧友に言われたときに、その空虚感にようやく気づいた。そんなエア充。


うっかり共有範囲を「公開」のまま投稿しようものなら、次に出会ったときに「百一さん、見ましたよ」と、「ぼくはいつもチェックしてますから」といったドヤ顔で、直前にタイムラインを流し読みしただけの輩から得意気に報告されたりする。友達でもなんでもない赤の他人のプライベートに詳しいことのどこがドヤだというのか。わたしには分からない。


数日後。


無駄にはだけた胸元が見えないように目を細めながら、「〇〇の件ですが、先日お送りしたファイルをご確認ください」と、例の女性担当者へメッセンジャーにて送ることになった。相手は「オンライン」のようだが、開封すらされない。


その気持ちはよく分かる。


開封してしまったら即レスポンスを求められるからだ。メールベースであれば、質問内容をとりあえず読んでおいて空き時間に対応策を思案したりもできるのだが、メッセンジャーだと読みたくても読めず、読んだあとの実際の対応はさらに遅れることになる。


結局、返信がきたのは翌朝だった。 「すみません。そのファイルってメールで送ってもらったんでしたっけ? それともメッセンジャーでしたっけ?」


全部が全部じゃないけど、「メールを古くさい」という人間にかぎってレスポンスが遅かったり、情報管理も甘かったりするタイプが多いのは気のせいだろうか。


そんな現状なら、メッセンジャーやチャットと多角経営をしている場合ではないんじゃないだろうか。うん、そうだ。だから、情報管理能力に自信のないわたしも、メールのみでやりとりできる相手にどこか安心感を抱いてしまうのかもしれない。


件名も宛名も挨拶文も省いてくれたって構わないし、くだけた口語体で書いてもらっても構わないから、まずはメールで漏れなくやりとりできるようになることを一緒に目指してみませんか。


そんな気持ちを込めて「ファイル再送しますね」とだけ書いて女性担当者へメールを送ってみたら、嫌味丸出しの仰々しい宛名と挨拶文つきで「ご教示いただき、誠にありがとうございます」との返信が瞬速で届いた。