田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

この世で考えうる最悪の異世界への入り口ってどこだろう

「もうこうなったら、しばらく短編集ばかりを読み漁ってみよう」と、「こうなったら」が「どうなったら」なのかも曖昧のままに思い立ち、北千住の紀伊國屋書店を右往左往。「マジック・フォー・ビギナーズ(ケリー・リンク)」という短編集を購入。

「ハヤカワepi文庫」というシリーズで、「良質な海外文学作品を若い感性を持つ読者に向けて発信する」と謳っておられるらしく、「若い感性」という単語が我が三十路男の心をどれだけ暗く閉ざしたかなどは気にすることなく、「epiは叙事詩 (epic)・発信源 (epicentre) の略」との三十路男にはやはりついていけそうにない補足説明は続く。

久しぶりの読書ということで、どのタイミングで本というものを読むべきなのかをつかめない。以前ならばちょっとした隙間の時間にページを開いては異世界に身を投じることができたものだが、ここ最近はちょっとでも隙間の時間ができると人生の細々とした厄介事たちが一斉にプレスを掛けてくるので、なかなか集中できそうにない。

結局、深夜になっても本を手に取ることができず、「このままではダメだ」と、短編集のなかの「妖精のハンドバッグ」という作品をようやく開いたのは風呂桶のなか。人生初の半身浴というやつで、お湯を胸よりも下にすれば何時間も浸かっていられると聞いたことを鵜呑みにし、上半身でだぶつく中性脂肪をさらけ出しつつ表紙をめくる。

あたしはよく友だちと、あちこちの慈善中古品店に行った。

そんな出だしで話ははじまる。

慈善中古品店。海外小説の翻訳版でたびたび見かける聞き慣れない言葉が持つ力は大きい。調べれば大したことはなく「慈善団体が資金調達のため、寄付してもらった中古品を販売する店」という意味らしい。

しばらく読み進めると、それは再び登場する。

あたしはゾフィアと年じゅうスクラブルをやっていた。

スクラブルこれまた調べれば大したことはなさそうなので、調べるのはやめておく。ルールの分からない見知らぬゲームの描写を読むことは簡単ではない作業だが、苦痛かと言われればそうでもない。むしろ、見知ったゲームの描写を読まされるほうが退屈かもしれない。

ただ、もっと退屈なこともある。

よく自己紹介の場で「趣味はなんですか」と聞かれるのだが、そのときは「カリチョンスです」と答えるようにしている。まあ、当然、「なんですかそれ」と再び聞かれることになるわけだが、この世に存在しないゲームのルールを延々と説明することほど面白くないことはない。

さて、肝心の小説の内容は、ひとことで言えば「ハンドバッグのなかに時空間の異なる世界が広がっている」というものだったのだが、この世で考えうる最悪の異世界への入り口ってどこだと思われるだろうか。わたしがかねてより主張している持論として、それは「自分の肛門」ではないかと思う。

だって、自分の肛門から異世界の人々に出たり入ったりされたら、ボラギノールがいくつあっても足りないじゃないか。しかも、20X0年に屈強な宇宙人が地球へ襲来したとき、全世界の人々が自分の肛門を通って向こう側の世界へ逃げのびたとしても、自分だけは地球の最後の住人として残らざるを得ないわけだ。おそらく、どんなに科学技術が発展を遂げたとしても、自分で自分の肛門を通ることはできないはずだから。

きっと、永遠の愛を誓い合った女が「わたしも地球に残るわ」とか言い出したりして、でも「きみは生きるべきだ」とか言って、その愛すべき女が眠っているすきに「グッバイ」と涙をこらえながら、自分の肛門へと無理やり押し込むわけだ。これほどまでに絶望的な別れがいまだかつてあっただろうか。

そんな地球の未来を左右しかねないテーマについて考えていたら完全にのぼせてしまった。時計を見ると、すでに2時間が経過している。

酩酊状態で立ち上がり、頭や体を洗う余裕もなく風呂から出ると、そのまま床に大の字になった。しばらく目をつぶり、顔を上げると、そこにはスタンドミラー。左右に開かれた両足のあいだに、この世で考えうる最悪の異世界への入り口が映し出されている。