田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

iPhone 5を見せてiPhone 6を買ったと嘘つく冒険

先日の痛ましい事件(股間に紛れ込みにくい「iPhone 6」の購入を決意する冒険)を経て、ことあるごとに「iPhone 6 に買い替える!」と社内に宣言していたら、めでたく部長の席に呼ばれて「で、買ったのか」と聞かれるはめになった。

当然のことながら、買っていない。

ただ、「こんな薄給で買えるわけないですよ」と、部長に事実を言えるはずもなく。仮に「買ってません」とだけ言ったとしても「おまえはいつも有言不実行だな。もっと慎重に自分の言葉を選べ」と、定番の説教を受けるに違いない。

そこで、慎重に検討を重ねた結果、わたしの口から出た言葉は「もちろん、買いました!」という、なんとも威勢のよいものだった。

すると、いつもとは違う部下の姿に「おお、そうか!」だなんて、部長も嬉しそうにしてくれているじゃないか。

わたしも久しぶりに満面の笑みとやらを浮かべかけたのだが、「どれ、俺にちょっと見せてくれないか」という一言で、向こう半年分くらいの全笑顔が地球のマントルめがけて音速で沈下した。



百一よ。貴様は「あ、すみません。手元にないんですよ」という言い訳が通用するとでも思っていたのか。「iPhone 6」というスタイリッシュな字面に惑わされるな。要は、携帯して使う電話なんだぞ。必ず手元にあるはずだ。

「もっと慎重に自分の言葉を選べ」という部長の言葉が、脳内でエンドレスリフレインする。

素直に謝ろう。いや、でもどうやって謝ればいいんだ。本当は買ってないんですけど、買ったって嘘をつきました。なんで。いや、その、えっと、なんとなく、ですかね(笑)……ってこれじゃあだめだ。

結局、パニックに陥ったわたしが選択したのは、ポケットからiPhone 5を取り出し、部長へ手渡すという方法だった。

「ほお、これがiPhone 6か。なるほど。たしかに少し大きくなったし、薄さも……ってiPhone 5やないかーい!」と、部長がノリツッコミをかまし、わたしのついた嘘がジョークに変わってくれる可能性に賭けたのである。



で、iPhone 5を手にした部長は「いや、下の娘が買いたいってうるさくてさ……」と話し出した。

予想を越える素晴らしいノリ方じゃないか。

あとは「ってiPhone 5やないかーい!」と続けるだけだ。きっと、このやりとりをひそかに覗き見している、オフィス中の社員を笑いの渦のなかへ叩き落とせるに違いない。

だが、部長は「で、指紋認証ってどうやってやるの?」と続けた。


くどい。くどすぎる。


これが「同じことを鳩時計のように一日に何度も言う」と評される部長の欠点なのだ。そこまでのってこられると興ざめしてしまう。現に、次の「笑い」に準備していた社員たちの表情も曇ってしまったじゃないか。

ここで、わたしが「ってiPhone 5やないかーい!」と言うのもありかもしれないが、なんだかおかしい。

仕方なくホームボタンに自分の人差し指を載せたのち、「えーっと、次にパスコードの入力っと」と、「ってiPhone 5やないかーい!」というゴールへつながる、分かりやすいパスを出してみせる。

だが、部長は、ロックが解除されたホーム画面を子供のように無邪気な表情でしばらく触り、「なんかよくわからんけど、やっぱすごいな、iPhone 6は! 見せてくれてありがとな」と、iPhone 5を普通に返してきた。


えっと、もしかして、本当に気づいてないのでは……?


「すみません。失礼ですが、部長はiPhoneを使っていらっしゃるんですか」

『いや、実は恥ずかしながら、ガラケーなんだよな』


なるほど。だから、気づかなかったのか。これはまずいことになったかもしれない。その予想は、次の部長の言葉で見事に的中する。

「百一のおかげでiPhoneの良さも分かったし。今週末にでも娘と一緒にiPhone 6を買いにいくことにするよ。指紋認証がどうとかって娘が言ってて、実はいまいち意味が分からなかったから、先に調べておこうと思ってさ、助かったよ



はい、おわった。おわりました。



さっきまで盗み聞きしていたオフィス中の社員たちが、もともと他人のくせに他人のふりを一斉にしはじめる。



ああ、あああ、ああああ……。

違うんです、なんて今さら言えませんよ。
パスコードの入力なんて本当は必要ないんです、なんて今さら言えませんよ。

どうか「そのあと、パスコードを入力するんだぞ」だなんて、見当違いな知ったかぶりを娘さんにかまさないでくだせえ!

どうか「パスコードを入力する画面が出ないじゃないか」だなんて、恥知らずなクレームを店員さんに入れたりしないでくだせえ!

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。



結局、そのあと、正直に謝りました。

部長は怒ってくれず、「なんだ、そうなのか」と、窓の外を見て笑いました。

わたしは心に決めました。くだらない嘘はつかないぞ、二度と。いや、できる限り。ケースバイケースかな、と。