田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

イスラム教徒と勘違いされて焼きトン屋の店主から軽蔑される冒険

「お互いがオフィスにいることで、どうでもいい雑談から新しい何かが生まれるような化学反応が起きるんじゃないか」という上司の苦言をよそに、最近はオフィスではなく自宅で仕事をすることが多い。

おかげさまで、「さてさて、ちょっと話が逸れてしまうかもしれないが」などと話題を散々に逸らしつづけて「自己表現」とやらを試みまくったあげく、「〇〇なサービス15選」と題しておきながら11種類しか紹介されていないようなライターさん発自己陶酔星行の暴走記事のなかに巻き込まれ、迫りくる終着駅に激突することをなんとか回避しようとしている緊迫のシーンの真最中に、オバマ大統領が透明人間になったら真っ先にやることってなんだと思う??」といった本当にどうでもいい大喜利を投げかけてくる上司との化学反応により新しい殺意が生まれてしまうこともなく、記事の編集作業に没頭できている(ここまで一息で)。

ただ、問題というものは環境を変えても必ず出てくるものである。というのも、ここ3日間。朝・昼・夕と3回ほどチャイムをしつこく鳴らしていく輩がいるのだ。今朝もやってきたので、玄関の覗き穴から相手の姿を初めて見てみることにした。

30代半ばだろうか。前髪が一直線に切りそろえられた長く黒い髪をモデルのような長身に纏わせて妖艶に微笑むシシド・カフカとは真逆の男が立っている。

ここで無視をしても、お昼には再びチャイムが鳴りはじめるのだろう。そして、夕方にもまた――。

残念そうに肩を落として帰りかけた真逆男の背中が勢いよく回り、玄関を少しだけ開けたわたしと遭遇する。そして、わたしが「なにか用ですか」と聞くと、「……あ、いえ。な、なんでもありません」と真逆男は答えた。


百一「いやいや、なんでもないわけないでしょうが」

真逆「……いえ、本当になんでもないので気にしないでください」

百一「いやいやいや、あなた、ここ3日間くらい、毎日のようにやってきてましたよね。しかも朝昼夕と」

真逆「あ、部屋にいらっしゃったんですね。何度も失礼しました」

百一「ちょっと待って。なんですぐ逃げようとするのさ。もしかして、部屋を間違えたの?」

真逆「いえ、そういうわけではないんですが」

百一「なら、用件を教えてよ。このままじゃ、不気味すぎるでしょ」

真逆「ぶ、不気味……」


真逆男はそうつぶやくと、何かを訴えるような表情でわたしのことをようやくしっかりと見据えたのだが、すぐに視線を下に落とした。

そして、「うーん。こんなことしたくないけど、警察呼ぶことになっちゃいますよ、このままじゃ」とわたしが心にもないことを告げると、真逆男はようやく諦めたように語りはじめた。


真逆「驚かないでいただけますか?」

百一「え、はい……驚かないようにがんばります」

真逆「実は……」

百一「実は……?」

真逆わたし、このマンションの隣に開店した焼きトン屋の店主なんです








だからなに?






どんな衝撃的な告白を聞いてもその動きを止めてしまわないように用心していた心臓が呆然と立ち尽くし、あやうく死んでしまいそうになる。


百一「そ、それで?」

真逆「それで開店のご挨拶のために、このマンションの一部屋一部屋を回っておりまして」

百一「それでうちにも来たわけですね」

真逆「はい、すみません。結果として、大変心苦しい思いをさせてしまって申し訳ございません」

百一「いや、そこまで謝らなくても」

真逆「とにかく、このお話は聞かなかったことにしていただければ」

百一「え、そこまでのことじゃないと思いますけど、まあ、わかりました」


そう答えると、真逆男はエレベーターを待つ時間ももどかしいといった感じで、備え付けの非常階段を猛スピードで駆け下りていった。



いったい、なんだったんだ……。


もしかして「ご風貌からして、あなたはブタ寄りの人間だろうし、共食いになってしまうかもしれないような店を隣に出してしまって大変申し訳ございません」とでも言いたいのだろうか。

真逆男の不可解な行動の真意がつかめないまま、気分転換に顔を洗おうとしたとき、じっちゃんの名にかけるよりも早く、そのナゾは解けることになった。


さてさて、ちょっと話が逸れてしまうかもしれないが、最近の朝は寒い。

美味い酒を呑む夜の時間を死守するべく、早朝6時には自宅での作業を開始していることもあり、その寒さは厳しさを増している。特に、今朝は耐えられず、頭が冷えて仕方なかった。ニット帽でもかぶろうと思ったのだが、衣替えをしていないことに気づく。朝っぱらから押し入れの中の衣装ケースを漁るのも面倒だ。

そんなとき、同居人がハロウィンパーティで使ったというアイテムが放置されていることに気づいた。そして、とりあえず仕方なく、それをかぶることにしたのであった。「うん。すごくあったかいね、これ。少しも寒くないわ」と。


わたしが「不気味すぎるでしょ」と告げたときの「おまえにだけは少しも言われたくないわ」といったような真逆男の表情の理由がようやく分かった。

なにせ、ボリュームたっぷりの真っ赤なターバンを巻いた男が、寂れたマンションの一室から突如現れたわけですからね。

しかも、華やかな飾りで彩られたアラジン仕様のターバンの下は、上下青のくたびれたジャージだったわけで、真逆男はよく悲鳴をあげることもなく冷静に対処できたものだと思う。それどころか、豚肉がイスラム教のタブーであることにまで一瞬で配慮しようとするだなんて、相当にできる店主なのではないだろうか。

ただ、ご配慮いただいたことは嬉しいのだけど、わたしはイスラム教徒ではないし、むしろ焼きトンは大好物で毎週のように通っている不浄の身なのである。マンションの隣に焼きトン屋ができたなんて嬉しすぎるし、どうしても食べにいきたいじゃないか。たとえ共食いであろうとも。

で、早速、夕方に行ってみた。
当然、ターバンは外して。

わたしがやってきたことに真逆男はひどく驚いていたが、なんと弁明すればいいのか分からなかった。「いえ、あのターバンは単なるルームウェアでして」と言えば、さらに不気味に思われてしまうに違いない。

いきなり店内に居座る勇気もなく、まずは軽めのジャブということでお持ち帰りからスタート。「シロとタンとハツと豚バラを2本ずつ」。「豚」という単語が出たときに、真逆男の手がぴくっと止まったのも気にすることなく、「ぜんぶ塩で」と注文する。

真逆男は「はい、よろこんで」と答えたが、そこには「おまえ、戒律守れよ」みたいな軽蔑の色が若干混じっていたのは気のせいではないと思う。

いや、知らんがな。なんだか腹が立ってきたぞ、イスラム教徒でもないのに。こうなったら、今度はターバンをしっかりと巻いて食べにきてやろうと思う。