田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

父の日に死んだ父の話(1)「俺は作家だ」と言い張る

「父」と打とうとしたら「乳」と予測変換され、随分と長い時間が過ぎたことに改めて気づかされた。わたしが18歳のとき、たしか世の中が父の日ムード一色の頃だったと思う。父が死に去ってから、かれこれ15年になる。

「父」という字をじっと見つめてみると、肩を落として不貞腐れているようにも見えるし、両腕で何かを力強く持ち上げているようにも見える。では、わたしの父に対するイメージはというと、実はよく思い出せない。どんな声でどんな言動をする人だったのか。少しずつ記憶から薄れていってしまっているのだ。


これじゃ、まずい。


そのうち子供ができて、「パパのパパはどんな人だったの」と聞かれたときに、「あんま覚えてないな」とでも答えれば、親子の絆というものの脆さを早くも悟らせてしまうかもしれない。

それで、今さらながら父のことを書いてみようと思ったのである。まあ、すでに死んでいるわけでおかしな言い方だけど、「関係を整理しておきたい」のだ。長くなるようであれば、何回かに分けることにする。


まず大前提として、父は作家であった。「お父さんの職業を聞かれたら、作家と答えなさい」と幼い頃から教えられ、最期まで「俺は作家だ」と言い続けた。

ただ、物心ついたときに、わたしもおかしいと思うようになった。毎朝、背広を着て出かけ、毎晩、同じ時間に帰ってくる作家なんているのだろうか、と。で、あるとき、父は作家ではなく、一介の団体職員であるという事実を知った。

錆びた黄色い自転車でいつもと同じ時間に帰宅し、靴下を半分だけ脱いでソファでくつろぐ父に「ウソツキ」と告げると、「中学の卒業アルバムでみんなにメッセージを書いてもらうページの四隅にな、一文字ずつ『キ』『ツ』『ツ』『キ』って書いたやつがいてさ。誰だかわからないんだけど。それがすごいショックでさ。ウソツキよりもひどい言葉だと思わないか?」と意味不明なことを聞かれた。それ以来、作家かどうかを追及するのはやめた。


団体職員として実直に働いていた反動で「俺は作家だ」などと言い出すようになったのかなとも思ったのだが、職場でもかなり自由にやっていたらしく、いわゆる「変わり者」だったようだ。

直属の上司とは頻繁にぶつかり、同僚とも距離を置き、そのせいかは知らないが最期まで平社員を貫き通すこととなった。ちなみに、その組織において、その歳まで平社員だった人間は父以外にいないらしい。父は、そのことをなぜかいつも自慢気に語っていた。

特に、同僚の福山さんという男のことがひどく嫌いだったようで、夕飯時になるといつも彼に対する暴言を吐いていたのを覚えている。

ただ、父が死んだときに一番悲しんで泣き、そのあとも花やら何やらをいまだに送り続けてくれているのが、その福山さんなのである。一体、二人はどんな関係だったのだろうか。わたしが今でも「他人の悪口を安易に言わない」ということを教訓にしているのは、それが理由かもしれない。


さて、どうしたものか。父のことを書こうとは思ったものの、どこからどうやって進めるべきか。とりあえず、わたしがまだパイパンだった17歳のときまで時間を戻してみる。そして、意外と長くなりそうなので次回へまわす。

>> 父の日に死んだ父の話(2)「シコシコしてるか」と聞きながら部屋に入ってくる