田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

父の日に死んだ父の話(2)「シコシコしてるか」と聞きながら部屋に入ってくる

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まだパイパンだった17歳のころ、わたしは高校にほとんど行っていなかった。そんなことを言うと、かつての同級生は「え、そうだっけ」と首をかしげる。というのも、正確には行っていたからだ。ただ、登校時間は社長出勤よろしく昼休みだった。

通学に2時間30分もかかり、途中には新宿やら渋谷やらがあるもんだから、ついつい途中下車をしてしまうわけである。といっても、新宿駅のアルタ前の広場にひとり座り、ひたすら行き交う人々を眺めるだけ。気が済むと再び電車に乗り、学校へ向かった。

昼休みは誰にもバレることなく教室へ入りやすいので都合がよい。カバンは目立つので自習室に置き、手ぶらでいく。教壇の引き出しに置かれた出席簿に「◯」をつけてから自席に座ると、コンビニで買ってきたサラダをなるべく早く食べ終わらないように咀嚼しつつ赤川次郎を読み、誰とも目を合わさず、誰とも話さないようにした。

同級生の女子から「毎日サラダばっか食べて、なんかウサギみたいだね」などと声をかけられて教室にいることに耐えられなくなれば、校内のできるだけ端にあるトイレへ場所を移し、なぜか服を脱ぎ、パンツ一丁になってボーッと過ごした。

トイレの給水タンクに腰掛け、小さな窓を少しだけ開けると青空が見え、遠くから響く学生の笑い声をBGMに白い雲が流れていく。それにも見飽きてしまうと、やって来たルートを逆走し、夕暮れのアルタ前で行き交う人々を再び眺めてから家に帰った。

結局、卒業するまでわたしが学校へ行っていない(行ってはいるんだけど)ことは、家族には一切バレなかったようだ。まあ、父も母もそんなことにかまっていられる状況ではなかったのだろう。

たしか、あれは5月か6月か。湿気の強い季節のことだったと思う。母はシンガポールかどこかを旅しているときで、父が自身の股間に極太ソーセージを当て、「シコシコしてるか」と聞きながら、わたしの部屋へノックもせずに入ってきた。

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