田辺ひゃくいちの冒険

踏みつけたくなるウンコを求めて。

父の日に死んだ父の話(4)肺がんで余命3か月であることが告げられる

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髪の毛をきっちりとセンターに分けた黒縁メガネの男性医師は、紙の上に描かれた肺のイラストにいろいろと書き込んでは、右肺の下部を黒く塗りつぶし、何度もボールペンの先で突き刺した。要は、そこが「肺がん」というわけである。

隣の母は完全にチーンとなってしまっているので、そのまま立ち去ろうとした医師に「端的に言うと、余命はどのくらいですか?」とわたしが聞く。おそらく、「端的に言うと」という言葉を人生で初めて使った瞬間だろう。

医師は、言わなくて済むのならそのままにしておきたかったのにといった表情で「3か月です」と答えた。どうせ大したことないのだろうとどこかでタカをくくっていたわたしは、想像以上に短い期間を耳にして「あらま!」と場違いなリアクションを返してしまった。

その後、医務室を出て父の病室へ立ち寄ったのはたしかなのだが、どんな会話をしたのかについては記憶が曖昧で、とりあえずガンだとか余命だとかは悟られないようにして病室を足早に去った。

病院を出ると、上っているのか下っているのか曖昧な坂道が続いている。で、坂の途中で振り返ると父が病室から手を振っているというのがいつものパターンなのだが、その日、父は顔を出さなかった。今思えば、何かを感じ取っていたのかもしれない。

母は父の病室を振り返ることすら忘れてトボトボと歩き、坂道の果てにあるブティックの前で立ち止まると、飾られている高そうなカバンを指差し、「ひでちゃん(父の名前)が治ったら、あれを買う」とつぶやいた。「結局、物欲かい」というわたしのツッコミがどこかぎこちなく響く。

とりあえず後日、医師から父へ正式にガンであること、余命3か月であることが告げられたらしい。「らしい」というのも、わたしは同席しなかったからだ。色々と理由をつけては行かなかったのだが、まあ要は、とてもじゃないがその場にいるなんて無理だったのである。

結局、母と叔母(父の姉)が同席したようだ。そのときの父がどんな様子だったのかについては、今でも聞かないようにしている。