宣伝会議賞グランプリを受賞しても変わらないから「変える」ことにした(1)
宣伝会議賞グランプリを受賞してなにか変わりましたか。早くもセピア色に褪せはじめた過去の思い出について聞かれるたびに「何も変わらない」と冗談めかして答えてきた。
たしかに受賞後には、とある市議会議員の方の地方選挙用コピー(日本語)を書いたり、とあるアプリの台湾進出向けコピー(中国語)を書く機会を敬愛する友人からいただいたりもした。ただ、今でも堂々とコピーライターを名乗れていないことは事実なのである。
先日も宣伝会議賞つながりで知り合ったコピーライターたちと飲む機会があり、同じく「宣伝会議賞グランプリを受賞してなにか変わりましたか」と聞かれた。
いつものように「何も変わらない」と答えると、いつものように一定の失笑が起きたのち、とある方に「グランプリ受賞者なんだから、後進のためにも少しは夢を見させてくださいよ」とボソッと言われ、ハッとした。いつまでも茶化してふざけている場合じゃないな、と。
当然だが、宣伝会議賞グランプリを受賞したからといって何かが勝手に変わってくれるほど世の中は甘くない。結局、なんとかして自分自身で変えようとしなければ、何も変わらないのである。
だから、「変わらない」ことに甘んじるのはやめて、そろそろ「変える」ことにしようと思う。
まずは、宣伝会議賞グランプリのキャッチコピー「人生の半分は無職です。」を世に出すことにチャレンジする。広告ポスターを自前で制作し、クライアントのゆうちょ銀行へ自主提案するのだ。
受賞当時から「良いコピーだけど、無職という表現があるから実際の広告としては使われにくいだろう。ましてや、クライアントはゆうちょ銀行だし」などと評されていたようだが、だからこそ、そこから覆してみる醍醐味がある。
うまくいくかは分からないが、こちらのブログで進捗状況を適宜報告していこうと思う。周囲からは「32歳で広告業界未経験では厳しいだろう」と評されるコピーライター志望者が、いったいどこまで行くことができるのか。そんな実録をはじめることにする。一連の記事が、わたしと同じような境遇に立ったコピーライター志望者にとって少しでも有益な情報になれば、これほど嬉しいことはない。
さて、早くも立ちはだかる第一の課題は、上述の通り。なんだか偉そうに御託を並べているくせに、わたしには広告制作の実務経験がほぼないのである。
そこで、自身が最も尊敬するコピーライターのひとりである長谷川哲士さんにコンタクトを取ることにした。そもそも「『人生の半分は無職です。』を世に出そう」と最初に声を掛けてくれたのも長谷川さんなのである。個人的に、長谷川さんと一緒に仕事をしてみたいという魂胆もあった。
Facebookで長谷川さんにメッセージを送るとすぐに返答が。結果、「人生の半分は無職です。」以外にもコピーをいくつか制作し、シリーズとしてゆうちょ銀行へ自主提案するまでの過程を一緒にやっていただけることになった。身に余りすぎる光栄である。
ちなみに、ここで改めて長谷川さんのことを説明する必要はないかと思う。仮に「知らない」という方がいれば、「長谷川哲士」でググればいくらでも情報が出てくるはずだ。
わたしが長谷川さんのことを知ったきっかけは、彼のインタビュー記事だったと思う。その中で、彼が就職活動をしなかった理由について話しているのだが、それがわたしが就職活動をしなかった理由とまったく同じであることに驚いたのと、「僕なりの反抗期だった」というコトバで表現する潔さに一目惚れというか、一読惚れしてしまったのである。
その後、長谷川さんと実際にお会いする機会があり、有名なTENGAのキャッチコピー「手抜きしないでね。」がクライアントに自主提案をして勝ち取った案件だということを知った。そして、その「ゲリラ力」とでも言うべき勢いに完全に圧倒されると同時に、自分もそうならなければと考えるようになったのである。